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照明コンソールの歴史6 ネットワークの時代へ

 90年代にWholehog2というコンソールが果たした役割は、シアターコンソールとロックボードの融合であり、さらにはDMXムービングライトが全盛を極める中、ムービングライトコンソールという当時は特殊な分野と見られていたものを一般照明の世界に浸透させました。

そしてそのWholehog2の後を追いかけ、後に世界におけるスタンダードコンソールの地位を築くのが、ドイツのコンソールメーカーMAライティング社でした。
当時のMAには、打倒Hog2のような空気があったことは確かで、彼らのフラッグシップコンソールGrandMAでは、Wholehog2にはない最新のハードウェアによる利点を謳っていました。しかしVer4あたりまでは、多くの照明家を振り向かせるには至らず、大きなシェア獲得には至らなかったものの、2001年以降、少しづつユーザーを増やして行きます。

 今になってみると、GrandMAに勝利をもたらしたのは、この頃、爆発的に需要が増えていた新しい照明機材、LEDに特化した機能によって、次の時代の足がかりを得た事によるところが大きいのではないかと筆者は感じています。そしてそのLED対応に加え、コンソールのネットワーク化を決定的なものにしたMAの最新ソフトウェアVer5が2004年に登場します。このバージョンでMAは複数のプログラマーによるショーデーターの共有というマルチユーザープログラミング概念を披露し、コンソールやオフラインソフトウェアによるフルトラックバックアップシステムを完成させました。

MAがもたらしたさまざまな機能は、Wholehog2から続くコンソールデザインを踏襲しながらも、これまでに誕生した照明コンソールに関するアイデアのほぼすべてを見事に昇華した現代のスタンダードとも言える姿でした。

1.カラー液晶タッチスクリーンによるカラーピッカーとビットマップ画像の表示
2.3Dビュー内蔵によるブラインド修正やプレビュー
3.ネットワークによるマルチユーザープログラム&バックアップ
4.ユーザー個々の画面環境定義と管理
5.外部リモートや内部クロックなど自動制御機能の充実
6.オフラインソフトウェアとのシームレスな連携
7.LED器具のマトリクスレイアウト機能やバーチャルディマーの概念

 2001年から2005年までの時期は多くのムービングライトコンソールが照明家に受け入れられ、定着を見た時期です。Compulite社のスパーク4Dやバリライトのバーチュオーソ、FPSのホールホグ2、MA社のGrandMAなど、これらは主に、ムービングライトの爆発的な普及によって今までムービングライトを扱う必要のなかったオペレーターたちもが、ムービングライトコンソールを使わざるを得ない状況になった故の結果でした。そうした中にあっても特にグランドMAの特徴は突出してイノベーションであり、グランドMAによって照明コンソールが新しい次元へと突入した感があります。

ネットワークの時代をにらんだ2つのコンソール

 GrandMAは、オフラインソフトウェアに加え、3Dシミュレーションソフトをも無料で提供するとともに、これらソフトと複数のコンソールをネットワーク上で接続することで、互いにデーターを共有し、複数のプログラマーがショー作成に参加することを可能としました。

しかもそれだけでなく、接続されたソフトやハードのどれもが同じショーデータを共有することで、メインコンソールが事故に見舞われても、どれか1つが生きていれば、ショーデータを復元することが可能という互いの機器やソフトが、ショーデータをバックアップするというネットワーク化の強みを活かしたシステムの構築を実現しました。

このMAの画期的な試みは、MA社だけでなく、Wholehog2の成功から次世代コンソールの開発を進めていたFPS社からもWholehog3という形で発表されました。
Wholehog3では、MA社と同様にマルチユーザープログラミングと複数のコンソールがショーデータを共有するデータバックアップの概念が盛り込まれていましたが、MAとは異なり、すべてのDMXのカリキュレートをDP2000というプロセッサー1台に担わせていたことで、これが結果的にWholehog3のその後に大きな影を残します。その後、FPS社は、アメリカのムービングライトメーカーHighend社に買収され、そのHighend社も映像業界の巨人Barco社に買収されていく中でWholehog3は時代の波に埋没していくこととなる。

しかし、同じネットワーク化をにらんだ同様のコンセプトを持つMAとWholehog3の結果に大きな違いが出た理由は、開発チームの離散やハードウェア設計の問題等ではなく、ひとえにLEDやMediaServerといった新しいデバイスへの対応にどう対応したかが大きな鍵になったのではないだろうか?

 MA社のGrandMAは、早くからLEDのピクセルマッピング機能や、バーチャルディマー、そして画像表示などの新しい負荷機器への機能を充実させており、それらはハードの変更を加える事なく、ソフトウェアのアップグレードで可能となりました。また、フルトラックバックアップの機能についても、NSP(ネットワークシグナルプロセッサ)にのみ依存することなく、オフラインソフトやネットワークにつながるどのコンソールもが平等にメイン出力となりえる要素をもっており、それが自動的に切り替わるというそのシステムの完成度は非常に高かったと言えるでしょう。

 

at 02:36, MRTusami, 歴史

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照明コンソールの歴史5 汎用コンピューターの進化

 ホールホグ2の登場とときを同じくして、ムービングライト時代の幕開けを象徴する3Dシミュレーションソフトが1995年に登場しました。それがWysiwyg シミュレーションソフトウェアです。

 このカナダCASTライティング社のソフトウェアは爆発的に増える当時のムービングライトのプログラミングをサポートするために生まれたものです。このコンピューターを使用するソフトウェアの登場から、一気に照明機器はコンピューター産業のハードウェアやプラットホームを使用したアーキテクチャーへと変っていきます

Wysiwygの誕生 
( Lighting & Sound International 2004 年9月号 WYSIWYG and Beyond より )

CASTライティング社長のデンシャムが話します
「既に我々はデザインプロットをPC上に描くことができて、今2Dビューを使用しているが、我々の仕事が3Dにもかかわらず、なぜこのビューを3Dで見ることができず、そしてライトを動かすことができないのか、」こう考えたとき今行っている3DのビューをなんとかしてPC上に再現する方法がないかと考えたのです。

 そしてもう1つ、デンシャムを「照明デザインを画面内に3Dビューで再現する」という考えに駆り立てた別の要素として、ロンドンの有名なライティングデザイナー、パトリックウッドロフと彼の4分の1サイズスタジオというものがありました。このスタジオはすべての照明器具やトラスを1/4サイズに縮小しながらも、実物と同じように制御ができ、照明デザインをリアルにプレゼンテーション可能とするクールなスタジオでした。

 デンシャムは説明します。プロデューサーの話では、パトリックは小さなベイビーパーツとスクローラーを使って、午前中に1つのシーンを完成させてみせ、皆がパブに行って戻ったときには、また新しいシーンをステージに完成させてみせてくれたそうなのです。

デンシャムはコンピュータ環境でウッドロフのような自分のモデルルームを造りたかった。ウッドロフのように照明コントロールルームに人がいなくてもわざわざ現場に行かなくても照明を作って見せることができるような環境。そして、それがすべての始まりだったのです。−コンピューター環境における照明デザインー

Wysiwygは、たとえワイヤーフレームの画面描画であったとしても、当時は画期的なものであったため、バージョン2から本格的に売れるようになります。このあたりからコンソール関連のメーカーはコンピューター業界に歩調を合わせるようになっていきました。そして時代はウィンドウズ95になり、ここにきて一般家庭にまでコンピューターが普及し、マシンパワーも指数関数的な進化をしていくことになります。

 照明のシミュレーションというとこの当時、建築分野などにはすでに緻密なレディオシティレンダリングを行う高価なソフトウェアがあったものの、WYSIWYGのように照明コンソールの入力を再現することや、ステージ用機器の光源をライブラリーに持つものなどは存在せず、このソフトウェアは画期的なソフトウェアでした。そしてなにより、コンピューターの急激な進化は、こうしたシミュレーションを特別なものではなく、一般的なものにしてしまうほどに破壊的な側面をもっていたことは確かです。
 
シミュレーションソフトとコンソールの融合

 コンピューターによる照明のシミュレーションが一般的になりつつあった1999年世紀末、ムービングライトの分野では先駆者であるバリライトがアルチザンに続くバーチュオーソというコンソールを発表し、これが一般に販売されることとなりました。このコンソールは、初めてシミュレーションソフトをコンソール内に統合したもので、このことがコンソールとシミュレーションソフトとの関係に大きな影響を与えます。

バーチュオーソはDMXコンソールであり、今までのバリライト専用プロトコルの呪縛を解いた初めての機種です。またOSにアップルのMACOSを採用して、汎用OS上で動作するアプリケーションという形式をとった初めてのコンソールとも言えます。

Virtuoso DXは2種類の出力を持っている。( DMXとVirtuoso信号 )Virtuoso信号はArtisan信号に非常に似かよった信号方式で灯体側に記憶を持たせる方式だが、同時にコンソール側でも、各灯体の記憶を持たせることによりそれまでは不可能であったオフラインプログラムと呼ばれるコンソールだけでプログラムする事が可能となった。

CASTとETCの接近

バーチュオーソとときを同じくして、ETCとCASTライティングが提携し、WysiwygをETC製コンソールと一体化させるシステムが作られました。これがエンファシスシステムです。ETC社はライトパレットから続くシアターコンソール系の最終形としてオブセッション2を投入するものの、やはりライトパレットを基本とし、そこから脱却できなかった故にこの機種でムービングライトコンソールに関して完全に出遅れることになりました。

 そうした中にあってオブセッション2はムービングライトコントロールを視野に入れたコンソールでしたが、その斬新な見た目とは異なり概念はスタンダードな照明用コンソールでした。ETCはこれをエンファシスというシステムで補完しようと考え、当時、同社の製品ラインナップにあったコンソール、インサイトやエクスプレス、インプレッションといったコンソールパネルをユーザーに選択させ、PCにインストールしたWysiwygとネットワークケーブルで接続し、ソフトウェアによってWysiwygの中で操作したフィクスチャー情報をコンソール側に反映させるシステムに仕上げたのです。

 Emphasisとは、サーバーPCを核とした、ライティング・コントロール・システムで、ETC独自のプロトコルである「ETCNet2」を使いネットワーク接続することによりWYSIWYGヴィジュアライズ・ソフトウエアとライティング・コンソールが連動し統合的なシステムを構築することが可能となる。よってその出力にはイーサネットを使い、それをDMXノードによってDMXに変換する必要がある
 
 この汎用コンピューターやそのシステムを利用した製品開発は、さらなる広がりをみせます。 2001年、ロンドンで毎年開催されるプラザという展示会では、エボライト社がダイアモンドシリーズの後継機となるダイアモンド4を発表。
このコンソールの特徴は今までどおりの、やはりロックコンサートのライティングボードという枠を逸脱しない大型のデザインで、見た目には2段プリセットスタイルのコンソールに見える。しかし最も大きな変化が、そのシステムにありました。今までのエボライト製品はAVOSという専用に設計されたOSの上にソフトウェアを動作させていましたが、この機種でエボライトは自社OSと手を切り、汎用OSに切り替える選択をとったのです。

 2002年、イタリアのリミニで開かれたSIBというエンターテイメントテクノロジーの展示会においては、ムービングライトで大きな成功を収めたデンマークのマーチン社が新しいライティングコンソールを発表します。すでにムービングライトのためのシミュレーションソフト、マーチンショーデザイナーを持っていたマーチンは、これをコンソールに組み込み、先のバーチュオーソやエンファシスのようなアプローチでコンソールを作ったのです。
こうして、2000年からの数年の間にコンソールが一般のPCと同様のシステムを採用するようになり、この流れは不可逆なままに、ますます加速していくことになります



at 23:49, MRTusami, 歴史

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照明コンソールの歴史4 融合

 1991年ロンドンに設立されたフライングピッグシステムズはその翌年のプラザという展示会で、WHOLEHOGを発表。数千チャンネルを扱うことの可能な汎用DMXコントローラーとして話題になりました。

ホールホグの画期的だった点は扱えるチャンネル数が巨大なだけでなく、そのコンセプトにムービングライトとディマーをまとめて1台で1人のオペレーターがプログラミングできるという点にあり、1台でまさにWholefixtureを扱うことができたコンソールでした。

 その後フライングピッグシステムズは4年の月日を経て、まるで形の異なるホールホグ2という革命的なコンソールを1995年に発表し、これによりツアー用コンソールの基本的なコンセプトが大きく様変わりをします。ホールホグ2の特徴はそのまま今のコンソールの原型と言えるほどにそのスタイルを歴史に刻む結果となったのです。

  • 液晶タッチパネルの採用
  • 1フェーダーに対してマルチキューを記憶するマルチキューリスト
  • シアタースタックを取り入れたトラッキングコンソール
  • 関数波形を使うエフェクト機能の搭載
  • パレットと呼ばれるトラッキングライブラリーを使ってデータを構築する
  • フィクスチャーの機能をICBFに分類して選択する
  • すべてのパラメーターが個別にタイム制御できるマルチパートキュー
 
興味深いのはフェーダーを複数使うロックボードスタイルであり、その基本的コンセプトもツアー用コンソールでありながら、シアタースタックの機能を取り入れた点と完全なトラッキングコンソールとなっていることでしょう。

このホールホグ2の登場を境にライティングコンソールはツアー用コンソールとシアターコンソールの垣根がなくなるとともにムービングライトコンソールとコンベンショナルフィクスチャー用コンソールというカテゴリーまでもが統合されるきっかけとなるのです。

これはホールホグ2がシアタースタックである時間軸制御のコンソールでありながらツアー用コンソールの形態をとり、且つムービングライトコンソールの概念を持つことを鑑みれば理解できる現象ではありますが、この時点で劇場用コンベンショナルライト向けコンソールはツアーコンソールの劇的変化に大きく出遅れることになりました

プリセットフェーダーの消滅

 90年代にコンサート用のコンソールメーカーとして全盛を誇ったイギリスのセルコ社がアビエイターシリーズで次世代コンソールを掲げたものの、コンピューター文化の申し子ホールホグ2の登場でメインストリームから転げ落ちることになり、代わってツアーコンソールにおけるロックボードの主役に躍り出たのはエボライトでした。エボライトはセルコとは異なりサファイヤの時点でムービングライトコントロールを意識しており、このサファイヤを改良してヒット機種となるダイアモンドシリーズを完成させます

 1990年代は、DMXの普及に伴い照明機材が劇的に変化した時代であり、先に挙げたようなツアー用コンソールの分野は大きく変化しました。そしてツアー用コンソールの廉価版になる仮設イベント用コンソールとして2段プリセットデザインのコンソールが数多く登場し、仮設用の可搬型コンソールはそのスタイルの完了形を見たのです。


at 10:15, MRTusami, 歴史

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照明コンソールの歴史3 DMXの時代

  1986年アメリカの劇場技術委員会(USITT)が照明制御のためのデジタル信号としてDMX512を発表しました。これは後に1990年バージョンで改定されますが、これが世界の照明制御信号としてスタンダードとなります。DMX512はカラーチェンジャーなどの新しい照明機器によりコントロールチャンネルが増え続けていく中で制御信号をなんとか1本にまとめ、システムの肥大化を防ぎ、設置等の簡便化を図る狙いがありました。

*アメリカの多くの劇場では、照明設備は外から持ち込み、設置する仮設のスタイルである

* DMX512 現在はESTA(Entertainment technology association)にその開発が引き継がれ、現在のDMXのバージョンはDMX512Aと呼ばれる。512chのチャンネルデータを伝送することができる。RS485の規格を使用したシリアル信号。

 DMXというデジタル信号は位置情報を扱うカラーチェンジャーやムービングライトなどの正確な再現性を求められるデジタル機器にとって相性のよい信号であり、メーカーは汎用のコンソールでも動く利点を売りに数多くのDMX対応製品を発表します。
 そのころムービングライトというのは専用プロトコルで動かされるもので専用のコントローラーが必要でした。例えばバリライトのアルチザンやモルフェウスのコントローラー、アイコンのコンソールなどです。これらはそれぞれのメーカー独自の仕様に基づいており、クローズドなシステムであったため、特定の演出空間におけるプロ専用の機器でありました

 こうした中、劇場用コンソールよりもコンサート用コンソールは常に新しいデバイスを扱うために急速にその姿形を変化させていくことになります。90年代はまさにコンサートツアーの全盛期であり、コンサートビジネスが照明機器の開発を牽引していたといってもいいでしょう。

 ロックボードはDMXを複数出力することでより多くのチャンネルに対応するとともに、すべてのデバイスを1台のコントローラーで操作するというスタイルを前面に押し出し、1990年代に入るとセルコ社などが次世代コンソールとの呼び名でアビエイターシリーズなどを発表します。

 ベルトエンコーダーにバーチャルフェーダー(今でいうページ切り替えでチャンネルを増やしていく方法)全面が赤いLEDのデジタル表示で、かなりデザイン的にも大型の新しさを感じさせるコンソールでした。しかしロックボードにこだわり続け、ムービングライトを視野にいれていなかったセルコはこの機種で方向性を見誤ってしまった。

 その頃、DMXのムービングライトコントローラーとしてヒットとなった機種が、その昔テレスキャン用というミラースキャンのコントローラーを開発していたイスラエルのコンピュライトが出したアニメーターという機種。専用のムービングコントローラーしかない時代にあって画期的につかいやすいDMXの汎用ムービングコントローラーは少なく、国内でもかなり使われる機会がありました。しかしこれはあくまでムービングライトコントローラーであり、今までの照明用途ではなかったため、かなり特殊な位置づけでもありました。

  この当時、メーカーは先にあげたセルコもそうですが、ディマーという今までの照明とムービングライトコントローラというものを分けて考えていたところがあり、セルコもLTPチャンネル制御専用のナビゲーターというコンソールを1991年に発表しています。

*LTP(ラストテイクを優先するというモード 最後に実行した状態を維持するスタイル)

また、MAライティングからはスキャンコマンダーというムービングライト専用のコントローラーが出て、仮設移動型コンソールの業界はめまぐるしく変化してきます。この当時のコンソールの機能について重要なポイントになったのはLTPチャンネルをどのように扱うかということであったように思います。カラースクローラーのように、スクロールするカラーの位置をDMXレベルで扱う機器やムービングライトのように1台でいくつものDMXチャンネルを占有する機器の各パラメーターを扱いながら、ディマーとの共存にはどういったスタイルが受け入れられるのか?

いくつかのメーカーがそれぞれを分けて開発したのに対し、セルコとともにロックボードの一翼を担うエボライトはQM500を改良してムービングライトフィクスチャーとジェネリックフィクスチャーを同時に扱える新しいコンセプトのコンソール、ローラキューサファイヤというコンソールを完成させるに至ります。

 

at 10:04, MRTusami, 歴史

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照明コンソールの歴史2 二つのスタイル

 ライトパレットがもたらした大きな革命はプリセットを持たないで、画面の中に存在する90Chといったチャンネル数をテンキー操作で扱うということで、今までテンキーを使って照明のレベル入力をしたことのない人にとっては驚きのニュースタイルでした。しかしこれはやがて劇場やホールなどの主にシアタースタイルの照明現場でスタンダードとなる1つのスタイルを確立することになります。

 このプリセットフェーダーをなくしてノンフェーダー卓というスタイルを作った劇場型コンソールに対し、コンサート用の仮設移動型のコンソールは逆にプリセットを残し、今まであった3段プリセットを2段にして、且つランダムアクセスを可能とするキューフェーダーという複数のプレイバックデバイスを配した今日のロックボードスタイルを生み出します。やがてこの2つのスタイルは融合されて今のムービングライトコンソールの形に昇華するわけですが、この時点では代表的な2大スタイルとして存在したのです

  劇場などで照明のデータを作成するとき、そのレベルは100であったり85であったり、いわゆるゲージを刻む(レベルが100%ではなくその途中のレベル)という状態であり、これを入力するにあたってフェーダーでその微妙なレベルを上げ下げするよりもキー操作で直接入力したほうが慣れるとかえって早くなります。

また、フィクスチャーの増大でチャンネル数もどんどん増えていき、90chが120ch、120が240というように物理的にフェーダーを配置するのが困難になったのもその要因ですが、こうした結果生まれてくるのがノンフェーダー卓といわれたもので、プリセットフェーダーを無くし、レベルをキー入力するタイプの卓。

 もう1つこの手のコンソールの大きな特徴として時間軸制御をもつという点があります。これは一般にはシアタースタックスタイルと呼ばれるもので、キューと呼ばれる照明の1つのシーンを記録したものを順番に並べてGOスイッチで設定したタイムにより順番にシーンを再生するものです。

    今日のロックボードスタイルというのは、セルコ社のシリーズ2やエボライトのQM500といったこの当時のコンソールからのものです。そのスタイルはプレイバックフェーダーとなる再生用フェーダーを手前に配置し、ここに1フェーダーに1シーンという形で記憶したものをマニュアル操作する。また、タッチスイッチ(又はフラッシュスイッチ、バンプスイッチ その昔国内のメーカーではピアノタッチとかスイッチと呼ぶこともあった)でそのシーンを点滅させて明かりを点滅するような操作が多い。

シアタースタイルと大きく異なるのは時間軸制御を行わないということと、これに伴いシーンがオペレーターの前にシーンフェーダーとして物理的に存在することでランダムなシーンアクセスが可能であることです。

 これらはコンサートというアドリブの要素の多いジャンルにおいて必要とされたもので、テンキー操作では間に合わないことの多いシチュエーションで90ないしは120程度のチャンネルが物理的にフェーダーとして目の前に配置されている必要がありました。こうした独特の使用環境のもと、ワールドツアーを繰り返すオペレーターたちの意見を取り入れて、1982年にセルコ社がガンマというコンソールを完成させ、それを改良して大ヒットとなったのが有名なシリーズ2(後のゴールド)です。


at 09:58, MRTusami, 歴史

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照明コンソールの歴史1 プリセットの時代

 電球の明るさをコントロールするために抵抗をつないで調整した時代から、変圧器を使って電圧を制御する(通称オートトランス)時代を経て、1958年にサイリスタを使った電圧/電流の位相角制御になってはじめて照明のコントロールがコントロールデスクと呼べる制御機器で可能となりました。

*SCR(SiliconControlledRectifier)3端子の半導体素子で、電力制御に用いられる。

 SCRの普及に伴い、コントロールデスクはフェーダーと呼ばれる照明チャンネルを制御するつまみを配した形になり、さらにシーンからシーンに対し瞬時に照明の状態を変化させるため、複数あるフェーダーのレベル(照明の明るさ%)をあらかじめセットし、現在の状態からスイッチする方法が必要となり、複数のつまみを配したブロックを1つの区切りとして、これを複数配置する、多段プリセットの考え方が主流となります。

"http://www.strandarchive.co.uk/control/index.html"
イギリスのストランドライティング社(現在Genlyteグループ)のアーカイブより

 こうしたプリセット面のブロックを段と呼び、劇場やホールでは3段プリセット(3シーン)や5段プリセット(5シーン)、7段、10段といった多面式のコントロールデスクが設置され、A/Bクロスフェーダーと呼ばれるメインプレイバックでこのプリセット段(照明のレベルをセットした状態)を切り替えていくことで早いシーンチェンジや多数のシーンを再生していくことを可能としました。

* ABクロスフェードとは、映像のスイッチャーで2つのソースを切り替える考え方やVJソフトで2つの映像をディゾルブしていくイメージと同様です。

 そのころ、コンサートツアーなどでは、3段プリセットプラス、フェーダーの代わりにオン&オフのスイッチで構成するプリセットを使ってコンソール全面に7面(7シーン)といった複数のプリセット段を配置した通称ロックボードが使われるようになります。

 コンサートの場合、フェーダーでレベルを調整したシーンでなく、0%もしくは100%のオンオフのシーンでもよい場合が多く、フェーダーの場所を設けずスイッチだけでもよいという点と仮設でコントロールを組むという特性から、机の上に載せる大きさでコントローラー上にすべてを配置する必要がありました。

メモリーコンソール

 それまでマニュアルコンソールと呼ばれるものは、人がそのつどシーンをプリセットフェーダーでセットしたものを切り替えて再生するスタイルであったわけですが、コンピューターの普及に伴い照明コンソールも設定したレベルを記憶できるメモリー型のコンソールに切り替わっていきます。

劇場のコンソールに大きな影響を与えたのが1980年に日本に入ってきたイギリスのストランドライティング社のライトパレットです。このコンソールの登場でノンフェーダー卓という言葉までが流行したほどそれは衝撃的なデビューでした。この当時、このライトパレットが出るまでメモリーコンソールは存在しておらず、記憶型コンソールの誕生はここからはじまったと言ってもよいでしょう。この機種の登場でヨーロッパの劇場コンソールは一変しました。

 また仮設という特殊な設置状況となるコンサート業界では1982年にこれもまたロンドンで開発されたガンマというコンソールがセルコ社から登場し、シーンをメモリーに記憶することでいつでも作成したシーンを瞬時に再生できる画期的なコンソールとなります。



at 09:07, MRTusami, 歴史

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Hogの遺伝子 JandsHog



 オーストラリアのJANDS社は世界で唯一、WholeHog2のオペレーティングシステムを搭載したコンソールを誕生させたメーカーだ。

 実はホールホグの誕生には、世界的な照明機器の商社であるACライティング社の社長が設立間もないFling Pig systems (ホールホグの開発元)を著名なライティングデザイナーに紹介したことがきっかけとなり、スマッシュヒットにつながったという経緯があり、ACライティング社は自社で扱うJands社の製品にも同じシステムを搭載させようと動いた。

そのおかげで、JANDS社は唯一WholehogオペレーティングシステムをOEM供給されたコンソールを作ることになる。このジャンズホグ以降も、エシャロン、ホグ500/1000など、いくつかのシリーズが誕生するが、最初に登場したこのJandsHogがもっとも使いやすかったというのは、ハードキーでパレットが存在していて、またプレイバックフェーダーが多かった点などがよかったと言われる。


at 10:30, MRTusami, 名機ライブラリー

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王道のコマンドスタイル ETCエクスプレス



 ETCはアメリカの劇場照明機器マニュファクチャーのビッグネームである。そのETCのコンソールというと、エクスプレッションシリーズや、オブセッションシリーズなど有名なコンソールが多いが、世界的にそして日本で普及したのは、このエクスプレスだと思う。

エクスプレスはオブセッションやエクスプレッションの廉価版となる機種だが、その操作概念も、コマンド入力もほとんど同じで、機能的にも必要十分なものを搭載しており、小劇場などを中心にかなり普及した。

右側にあるトラックパッドをムービングライトのPAN/Tilt操作や、カラーチェンジャーのコントロールなどに使うことで、インテリジェントフィクスチャーのコントロールもできないではないが、やはり一般照明向けコンソールであることは間違いない。

しかし、その代り演劇シーンにおいて、チャンネルレベルの取り扱いに関しては、非常に照明の王道スタイルであり、誰もがすぐに操作できるくらい浸透した操作方法は、照明コンソールのスタンダードと言っても過言ではないだろう。

実は、その操作概念はストランドライティングのライトパレットを受け継いでいるが、これはライトパレットの開発者がETCにジョインしたことによるもの。つまりは劇場系コンソールは現代においてもライトパレットの影響が色濃いということでもある。





at 23:05, MRTusami, 名機ライブラリー

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革命を起こしたコンソール Wholehog2



DMX512ムービングライトの時代を決定的なものにし、その後のDMXムービングライトコントローラーのスタンダードを作り出した照明業界のイノベーションとも言えるコンソール。このコンソール以降、照明コントローラーが大きく様変わりした。

 ホールホグシリーズには2以前にホールホグ1という存在があり、まだ誕生して間もないDMX512のチャンネル数でさえ膨大だと思われていた時代にあって4000chという途方もない数の出力を売り文句に、照明業界に衝撃を与えた。それはまるでその後のDMXチャンネルの大量消費を予見していたかのようなスペックだった。

そして、ホグ1では大型の筐体だったハードウェアデザインを、チャンネルやパレットなどのスイッチをすべてタッチスクリーン内にバーチャルスイッチとして表示することで、ホールホグ2では小型なハードウェアでも画期的なまでに操作性に優れたコンソールが完成したのである。

このコンソールがイノベーションだったのは、ハードウェアのデザインだけでなく、これまでツアーコンソールでは、ロックボードスタイルが常識だった世界に、シアタースタックの概念を持ち込み、マルチキューリストや関数波形によるエフェクト効果など、現在のコンソールのスタンダードとなったいくつもの機能を搭載したことだった。まさにその後のコンソールの形を作り上げた歴史に残る名機となった。



at 02:00, MRTusami, 名機ライブラリー

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最後の末裔 Diamond3



 いわゆるロックボードスタイルを今の時代にも継承しているコンソールはAvolitesしかないと言っていい。Diamond3は90年代の後半に、ツアーコンソールの形態がキュースタックのムービングライトコントローラーに移り変わった時代に唯一、大型の筐体と2段プリセットフェーダー、キューフェーダ−という昔ながらのスタイルに、ムービングライトコントロールを加えて生き残ったコンソールである。

このダイアモンドシリーズには2という、より大型のコンソールがあるが、商業的にも成功したのはこの3である。現在はこのシリーズも4に変わったものの、いまだ3のほうが支持が高く、完成度の点でもまた、このスタイルの選択肢としても、これ以外にないという現実がある。しかし、ムービングライトが主体になった現代のコンサートツア−においては、この巨大な筐体もプリセットフェーダーのスタイルも過去のものと化した印象は拭えない。

セルコ社が時代の変化に対応できなかった90年代に、LTPチャンネルとパラメーター制御の概念をプリセットフェーダースタイルに融合させた点では高く評価していいコンソール。それがなければ、生き残ることはできなかったと思う。











at 12:25, MRTusami, 名機ライブラリー

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